2016.02.27 Saturday
前衛絵画
こちらはチャウロコタケ。
各種の広葉樹の枯れ木に長径3〜4cm程の茶色の傘を
魚の鱗のようにびっしりと発生させる事が多い為に
その様に名付けられたのだろう。
このキノコも東大阪時代には全く見かけなかったのだが
名古屋では毎年何処かで必ず遭遇している。
名古屋の環境はチャウロコタケに取って、かなり居心地が良い様だ。
あまりにもしょっちゅう遭遇するので
小規模の発生状況ならばスルーしてしまう程だ。
チャウロコタケは、はっきりとした環紋が特徴的だ。
上掲の画像の個体では判り難いが
数種の色を交えた鮮やかな環紋の個体になる事が多い。
こちらは古くなった個体が色褪せた事によって
環紋がより露わになった物。
多くはびっしりと子実体を発生させるのだが
時としてこの様に閑散とした状態の個体群もある。
何か、とても貧相で可哀想に見えてしまうなぁ……
同じ様にびっしりと発生するキノコにカワラタケがある。
こちら↓がカワラタケと呼ばれ
こちら↓がウロコタケと呼ばれるのは
色合いの関係もあるだろうが
各々の個体の厚みの違いがあるからだと思われる。
カワラタケも厚さ1〜2mm程度の薄いキノコだが
チャウロコタケはそれよりも更に薄い0.5〜1mmだ。
その薄さと、薄さから来る縁の鋭さが魚の鱗を連想させるのだろう。
各個体のうねりの大きなカワラタケに比べて
チャウロコタケはうねりが小さく全体に平らで
より鱗っぽい事も関係しているかもなぁ。
試しにチャウロコタケの一枚をむしり取ってみる。
表側。
横から薄さを。
っても、これではちょと判り難いなぁ。
こちらは裏面。
裏側にも環紋がある。
表面に比べると薄い色合い。
先にも書いたが
チャウロコタケの各個体は3〜4cm程度の物が多いが
時としてとても大きな個体になる事がある様だ。
こちらは切り株全体に発生していた個体群。
上から見たらこんな感じ。
長径7〜8cmの大きな個体が多く
中には複数の個体が癒着していて10cmを超えている物もあった。
余程栄養状態が良かったのだろうなぁ。
こちらはすぐそばにあった倒木から発生していた個体群。
こちらも大きな個体ばかりだった。
先の個体群の一部を拡大してみる。
この画像だけを見たらキノコには見えないかもなぁ。
円形のヤツはメノウの断面みたいだし
(アルゼンチン産のメノウ)
(ailoveiさんのサイト『世界の最も美しい鉱石・鉱物』より引用)
全体で見ると前衛抽象絵画みたいだ。
(滋賀県立近代美術館公式blogより引用)
(『アート×現場』サイト内、「アートの視点」より引用)
(どちらもフランク・ステラの作品)
もっとそっくりな絵画があった様な気もするが思い出せない……
ローマ帝国の政治家・哲学者・詩人、
ルキウス・アンナエウス・セネカの言葉に
「すべての芸術は自然の模倣に過ぎない」、
手塚治虫の『火の鳥』の中のセリフに
「人間の作ったものは、すべて自然の模倣に過ぎない」があるが
こう言うのを見ると正にそうだなぁ、と思わされてしまうなぁ。
ただ、これは芸術作品では無いので時間と共に朽ち果ててしまう。
こちらは約4か月後の様子。
冬場だからかなり形は残っているが、全体に萎びた感じだ。
これも遠からず、完全に消滅してしまうだろう。
今回はたまたまこの光景に遭遇出来たので
「前衛絵画みたいだ」と愛でる事が出来たが
こう言う「決定的瞬間」はあちこちで発生しているのだろうなぁ。
これからも可能な限り、そう言う光景に出逢いたい物だ。
勿論それは、ただの自己満足でしか無いのだけど。
各種の広葉樹の枯れ木に長径3〜4cm程の茶色の傘を
魚の鱗のようにびっしりと発生させる事が多い為に
その様に名付けられたのだろう。
このキノコも東大阪時代には全く見かけなかったのだが
名古屋では毎年何処かで必ず遭遇している。
名古屋の環境はチャウロコタケに取って、かなり居心地が良い様だ。
あまりにもしょっちゅう遭遇するので
小規模の発生状況ならばスルーしてしまう程だ。
チャウロコタケは、はっきりとした環紋が特徴的だ。
上掲の画像の個体では判り難いが
数種の色を交えた鮮やかな環紋の個体になる事が多い。
こちらは古くなった個体が色褪せた事によって
環紋がより露わになった物。
多くはびっしりと子実体を発生させるのだが
時としてこの様に閑散とした状態の個体群もある。
何か、とても貧相で可哀想に見えてしまうなぁ……
同じ様にびっしりと発生するキノコにカワラタケがある。
こちら↓がカワラタケと呼ばれ
こちら↓がウロコタケと呼ばれるのは
色合いの関係もあるだろうが
各々の個体の厚みの違いがあるからだと思われる。
カワラタケも厚さ1〜2mm程度の薄いキノコだが
チャウロコタケはそれよりも更に薄い0.5〜1mmだ。
その薄さと、薄さから来る縁の鋭さが魚の鱗を連想させるのだろう。
各個体のうねりの大きなカワラタケに比べて
チャウロコタケはうねりが小さく全体に平らで
より鱗っぽい事も関係しているかもなぁ。
試しにチャウロコタケの一枚をむしり取ってみる。
表側。
横から薄さを。
っても、これではちょと判り難いなぁ。
こちらは裏面。
裏側にも環紋がある。
表面に比べると薄い色合い。
先にも書いたが
チャウロコタケの各個体は3〜4cm程度の物が多いが
時としてとても大きな個体になる事がある様だ。
こちらは切り株全体に発生していた個体群。
上から見たらこんな感じ。
長径7〜8cmの大きな個体が多く
中には複数の個体が癒着していて10cmを超えている物もあった。
余程栄養状態が良かったのだろうなぁ。
こちらはすぐそばにあった倒木から発生していた個体群。
こちらも大きな個体ばかりだった。
先の個体群の一部を拡大してみる。
この画像だけを見たらキノコには見えないかもなぁ。
円形のヤツはメノウの断面みたいだし
(アルゼンチン産のメノウ)
(ailoveiさんのサイト『世界の最も美しい鉱石・鉱物』より引用)
全体で見ると前衛抽象絵画みたいだ。
(滋賀県立近代美術館公式blogより引用)
(『アート×現場』サイト内、「アートの視点」より引用)
(どちらもフランク・ステラの作品)
もっとそっくりな絵画があった様な気もするが思い出せない……
ローマ帝国の政治家・哲学者・詩人、
ルキウス・アンナエウス・セネカの言葉に
「すべての芸術は自然の模倣に過ぎない」、
手塚治虫の『火の鳥』の中のセリフに
「人間の作ったものは、すべて自然の模倣に過ぎない」があるが
こう言うのを見ると正にそうだなぁ、と思わされてしまうなぁ。
ただ、これは芸術作品では無いので時間と共に朽ち果ててしまう。
こちらは約4か月後の様子。
冬場だからかなり形は残っているが、全体に萎びた感じだ。
これも遠からず、完全に消滅してしまうだろう。
今回はたまたまこの光景に遭遇出来たので
「前衛絵画みたいだ」と愛でる事が出来たが
こう言う「決定的瞬間」はあちこちで発生しているのだろうなぁ。
これからも可能な限り、そう言う光景に出逢いたい物だ。
勿論それは、ただの自己満足でしか無いのだけど。