こちらはホウロクタケ。
広葉樹の枯れ木に発生する硬質菌だ。
このキノコも東大阪時代には見た事が無かったのだが
名古屋転居後には普通に遭遇する様になった。
ホウロクタケには他の硬質菌には無い、大きな特徴がある。
上掲画像でも少し見えているが、傘表面の主に根元に近い部分に
艶消しの白〜灰褐色の小さなこぶ状の物が生じるのだ。
質感で言えばアイシングクッキーの
アイシング(砂糖衣)部分に似ている。
なので、ややもするとホウロクタケは美味しそうに見えてしまうw
そのアイシング部分の色・形・大きさの個体差はとても大きい。
そしてホウロクタケ本体の色の個体差もとても大きい。
以下、その差異の様子を列挙。
この個体は全体に落ち着いた灰褐色でアイシング部分がとても大きいので
何処か高級な焼き菓子の様に見えてしまう。
和三盆の風合いもあるので高級な落雁とか?
こちらは枯れ木の頂部から発生して居て丸くなっている為に
それこそ焼き菓子みたいだ。
こちらはアイシング部分が傘の縁に近い部分に集中している。
こんな風になる事もあるのだなぁ。
こちらは暗褐色の個体。
縁の部分は黄褐色だ。
こちらは暗灰褐色。
アイシングとのコントラストがよりお菓子っぽい。
こちらは褐色が中心の個体。
コーヒー風味のお菓子かな?
こちらは傘部分が赤褐色だ。
キャロット風味かな?
こちらは黄褐色。
きなこ味?もしくはマンゴー風味?
こちらは赤褐色のグラデーション。
カフェオレ風味?
こちらは暗褐色。
完全にチョコ風味だろうなぁ。
こちらはアイシング部分が傘と殆ど同色なので目立たない個体。
こちらはアイシングが少しあるのでホウロクタケと判断しやすい。
こちらはアイシング部分が僅かしか無い個体。
こちらもアイシング部分がほんの僅かしか見当たらない。
他の硬質菌にも見えてしまうがこれもホウロクタケだと思うなぁ。
傘の裏側はこんな感じ。
大きめの管孔が綺麗にひしめき合っている。
時としてこの様に迷路状になる事もある由。
模様として面白いなぁ。
こちらは古くなって朽ちている個体。
アイシング部分が何とか確認出来るので、
これもホウロクタケで良いと思う。
さてこのホウロクタケ。
硬いので当然食べられない。
また、毒でも無い様だし、他の硬質菌に様に薬効も特に無い様だ。
なのでこれ以上書くべき記事が特に無いのが残念だ。
尚、『北陸のきのこ図鑑』によると胞子の形状が違う
「マルミノホウロクタケ」と言う近縁種があるとの事。
また、『日本産菌類集覧』によると
「アケボノホウロクタケ」と言うキノコもある由。
顕微鏡を持たない当方には勿論その区別は出来無い。
所でこのホウロクタケ。
漢字で書くと「焙烙茸」となる。
では「焙烙」って何?
今、「焙烙」を画像検索すると、この様な物がhitする。
amazonの優美さんのサイトより引用
これはゴマや豆、茶葉などを炒る為の道具だ。
これをコンロなどの火に掛け、中の物を炒るのだ。
楽天 茶屋葉桐さんのサイトより引用
近年ではコーヒー豆を炒る道具としても知られている。
自分で好きに炒り具合を調製したいマニアには必携の道具だ。
だが、これは本当は「手焙烙」と言う名称の道具。
本来の「焙烙」とは素焼きの薄い皿の事だ。
これも物を炒る為の鍋で、鉄製のフライパンが無かった時代には
広く家庭で使われていた、と言う。
近年では深い蓋とセットにして蒸し焼き用の炮烙鍋として
使用される事もある由。
ジモティー京都版より引用
この画像の物は釉薬が掛かっているが
元々は上述の様に素焼きの皿の事を「焙烙」と言うのだ。
恐らくこのキノコのマットな質感で大きな褐色系の子実体の様子を
素焼きの皿に見立てたのだろう。
こちらの個体は丸いから余計に焙烙っぽいかと。
色合いが素焼きらしく無いのは残念だけど。
『日本産菌類集覧』によると
安田篤によりこのキノコが新種登録されたのは1922年との事。
だが「ホウロクタケ」の名が安田の命名として
記載されたのは1955年となっている。
安田篤は1924年に逝去しているので
その31年後に論文が発表されたと言う事になる。
安田が1922年に「ホウロクタケ」と命名したのだが
その論文発表前に体調を崩し、そのまま逝去した為に
別の人が安田の論文を31年後に代理で発表した、と言う事なのだろうか。
うーむ、良く判らない・・・・・・
と、それはともかく1922年と言えば大正11年。
鉄のフライパンが日本の一般家庭で普通に使われる様になったのが
何時からなのかは調べても解らなかったのだが
恐らくは戦後の事だろう。
大正時代にはまだ家庭には出回ってなかったと考えても
多分間違いはないだろう。
となると、当時は焙烙が普通に使用されていたと考えられる。
素焼きの皿の様な色合いと質感のキノコを
ホウロクタケと命名しても
説明不要で誰にでも通じたのだろう。
だが、100年近く経って生活環境は変わってしまった。
今の時代、皿状の焙烙を物を炒る為の道具として使っている人は
殆ど居ないだろう。
手焙烙を使っている人もかなりの少数派と言えるだろう。
ホウロクタケを知っているキノコマニアで
焙烙の意味を知っている人となると更に少数になると思われる。
時代が変わると命名の意味合いが通じなくなる事もあるのだよなぁ。
今後、そう言うキノコが更に増えるのかもなぁ。
以前、クジラタケの記事で同じ様な事を書いた(→こちら)。
クジラタケも安田篤により1918年に命名されたとの事。
安田の感性が今の時代には理解され難くなった、
と言う事になるのだろうなぁ。
どちらも似た外見のキノコなのも運命と言うか因果と言うか。
大正は遠くになりにけり、と言った所だろうか。
因みに、クジラタケとホウロクタケ。
外見だけで言えば個体によってはかなり見分けが付き難い事がある。
なので、クジラタケの記事にホウロクタケが混じっていたり
この記事の中にクジラタケが混じっている可能性も無きにしも非ず。
もしそうだったとしたら平にご容赦を・・・・・・
m( _ _ )m